UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

08/24 VOODOO BEATBATTLE3 Bブロック予選に出場します

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8月24日開催のVOODOO BEATBATTLE3 Bブロック予選に出場します。
第0シーズンから数えて4度目の出場となる今大会は、トラックメイカーのバーリトゥードバトル!持ち寄ったトラックを2分間ずつかけ合って、その場にいるお客さんの挙手で勝敗を決めるトーナメント戦です。
予選大会の優勝者は10月に開催される決勝に進出、そして決勝での優勝者には自曲をプレスしたアナログレコード100枚がプレゼントされます。

4度目の出場になって思うのは、賞品であるアナログレコードはもちろん魅力的ではあるのですが、それ以上に他では得難いのが、自分が丹精込めて作った曲をお客さんに真剣に聞いてもらえる機会だっていうこと。ネットにアップしても、普段のDJに混ぜて使っても、ここまで真剣に聞いてもらえる状況を作ることってたぶん無いと思います。

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関ヶ原にまつわるエピソードその2:大友義統

関ヶ原合戦は、よく戦国時代の最後のクライマックスと形容されます。

ただ、実際には関ヶ原の頃はもう戦国時代は終わっており、江戸時代の黎明期と考えたほうがよいように自分は思います。

 

戦国時代は各国の領主である大名が思い思いに年貢を徴収し、兵役を課し自国内を統治していましたが、秀吉の太閤検地によってそれらは統一され、一つの基準のもと運用されるようになりました。この時点で一度戦国時代は終わったと考えられます。

 

石田三成の挙兵は、終わった戦国時代をこの世に再度よみがえらせようとする試みでした。戦国時代とはすなわち下剋上の世の中で、一度決まった身分をいかようにも変えることができる世の中のことです。

 

最終的に合戦は西軍が破れ、下剋上が成ることはありませんでした。しかし、関ヶ原を合戦当日のみではなくもっと広い視点で見ると、この挙兵を千載一遇の機会ととらえ、下剋上に果敢に挑戦したエピソードが数多くあります。その一人が九州の大友義統(おおともよしむね)でした、大友氏は古来より九州北部を統治する名門で、戦国時代の後期には龍造寺家、島津家と九州の覇権をあらそっていました。その版図は義統の父である宗麟の時代が最大でしたが、時代が下り義統の代になると、秀吉の怒りを勝って所領を没収されてしまいます。石田三成の挙兵に下剋上の再来を感じた義統は毛利輝元の支援を得て西軍方として挙兵、旧領の回復を狙って豊後へ侵入します。これを石垣原の戦いで防いだのが黒田如水でした。一旦は大友の勢いに完全に押されていた黒田軍はしかし遅れて増援が到着すると一気に巻き返し、最終的には大友義統を降伏に追い込みました。

 

他にも全国各地に「旧領の回復」を狙って挙兵した武将が多くいました。彼らが石田三成の挙兵を最後のチャンスととらえていたかはわかりませんが、事実ここで東軍としてチャンスをつかんだ者はその後江戸時代の終わりまで続く名家となり、敗れた者は市井にかえっていくことになりました。

 

ところで、石田三成は豊臣政権下で太閤検地の実務担当者として辣腕をふるったことから出世の道を歩みはじめたと言います。戦国時代を終わらせる太閤検地を実施し、自らの手でそれを無に帰さんとクーデターを起こすとはなんだか因果を感じさせる人生です。

関ヶ原合戦にまつわるエピソード1: 細川幽斎

最近、仕事で「関ヶ原合戦」についていろいろ勉強しています。

 

歴史を勉強することは日々生活している中にも新しい発見があったり、登場する時代に対する背景知識が備わることで歴史認識が変わったりして結構刺激的です。

 

関ヶ原の合戦」といえば、1日で終結した一大決戦というイメージが強いと思います。たしかに関ヶ原の本戦自体は1日で終わっているのですが、実際はその前後に様々な動きがあり、それらを知ると教科書では一言で片づけられがちなこの合戦が一気に魅力的なものになります。そうしたエピソードの中でいくつか自分が魅力的に感じたものがありましたので、紹介したいと思います。

 

関ヶ原の合戦自体は9月15日に現在の岐阜県不破郡関ケ原町付近で起こった、石田三成徳川家康が戦った合戦です。しかし、石田三成が実際に挙兵したのは1600年の7月中旬のことであり、合戦があった9月までの2ヶ月間、全国で様々なことが起こっていました。

 

例えば、7月中旬に挙兵した石田三成は、まず京都にある伏見城(現在の京都市のはずれ)と、丹後田辺城に攻め込みます。

この時代は豊臣秀吉が死亡した直後なので政治の中心は大坂城にありました。そして、石田三成は、徳川家康会津上杉景勝を討伐するために東海道を下り江戸を通過したあたりを見計らって大坂で挙兵していますので、まずは地盤固めのために大坂・京都周辺を押さえていこうと考えたのです。

 

この伏見城攻めおよび田辺城攻めはどちらも最終的には西軍(石田三成)が勝つのですが、どちらの城攻めにおいても三成にとっては予想外の苦戦を強いられることになります。今回の記事ではこの2城のうち、田辺城攻めのエピソードを取り上げたいと思います。

 

丹後田辺城攻めにあたって、石田三成は大軍を投入します。一方、城を守る細川幽斎は、自国内の全ての城を焼き払い、兵力を全て田辺城に集中させましたが、その数は西軍に対して明らかに少ないものでした。当然、西軍は田辺城を蹴散らしてすぐに次の城攻めにかかるつもりだったと思われますが、実際にはこの田辺城を2ヶ月近くも落とすことができませんでした。西軍による田辺城攻めが失敗した要因は、主に城を守る東軍のモチベーションが非常に高く、逆に西軍のモチベーションが著しく低かったことにあります。

その理由としては、

1 石田三成が相手を怒らせてしまった

2 城を守る細川幽斎が、非常に名の通った文化人だった

という2つがあげられます。これについて、以下で見ていきたいと思います。

 

1 石田三成が相手を怒らせてしまった

挙兵した石田三成は、まず全国に散らばる武将達を一人でも多く味方につけようとしました。ここで、各大名から豊臣家への人質(服従を保証するための保証人)として大坂に住まわされていた、各大名の妻や子どもを誘拐して、自分の下に人質として取り込もうとしました。この作戦は加賀の前田利政ら一部の大名・武将に対しては有効に働きましたが、逆に誘拐が失敗して逃げられてしまった例なども多く、あまりうまくいきませんでした。特に、細川幽斎の嫡男(家督を継ぐ息子)である細川忠興の妻。細川ガラシャは、西軍に同行することを強く拒否し、自ら命を断ってしまいました。(ガラシャキリシタンだったため、自刃することはできず家来に自らを刺し殺させたと言います。丹後田辺城を守る細川幽斎は、当然義理の娘を無残な最期に追いやった石田三成に対して非常に憎悪を燃やしていたことでしょう。これが城を守る東軍のモチベーションが高かった理由です。

 

2 細川幽斎が非常に名の通った文化人だった

一方、西軍の田辺城攻めに対するモチベーションが低かった要因には、城を守っていた細川幽斎が歌道を通じた文化人であったことが挙げられます。西軍に加わっていた諸将の中には、こうした文化を通じて幽斎と深い親交のあった大名も多く含まれており、また幽斎は彼らの「先生」のような立場にあたるような人だったため、とても本気で城攻めを行うことができなかったといいます。さらに、西軍の攻撃を2ヶ月近くしのいだ後に幽斎は勝ち目がないことを悟ると、天皇の弟に歌道の奥義を伝授するということをほのめかします。天皇の弟は何がなんでも歌道の奥義を知りたいので、この合戦で細川幽斎を殺させるわけにはいきません。すぐに田辺城に飛んでいき、幽斎に和睦をすすめます。ところが、幽斎はここで和睦のすすめを断り、決死であることを和歌で天皇とその弟に伝えます。

古も 今もかわらぬ 世の中に

こころのたねを 残すことのは

最終的に幽斎は和睦を行いますが、その頃には合戦の日が近づいてきており、ここで足止めを食らった西軍の軍勢は本戦に間に合うことなく戦いを終えることになりました。

 

現代でこそ、文化的な国力は「ソフトパワー」と呼ばれ、外交戦略上非常に重要視されています。(昨今日本で叫ばれている「クールジャパン」もその一例といえます)しかし、当時はおそらくソフトパワーという言葉はもちろん、そんな概念も存在しなかったはずです。論理的に戦をすすめれば勝てるはずと踏んだ三成は、東軍と西軍の間のソフトパワーの有無を読み違え敗れたともいえます。関ヶ原合戦における田辺城攻めは、ソフトパワーが現代的な概念でありつつも、当時から大きな力を持っていたことを伺わせます。

秩父セメント工場に行った時の話

感動とは何か。
この言葉に対する明確な定義は未だ持ち合わせていないけど、エクスタシー(精神状態の極限までの高揚)はそれに近い言葉ではあると思っている。感動というと、もう少し感情の色がついているものにも思われるが、自分は感情というものはまず精神状態の高揚があり、そこに文脈に合わせた色づけを無意識のうちに行ったものが感情であると思っている。

さて、そのエクスタシーが起こるきっかけになりえるものの一つは"日常的感覚との大きなズレ"だと思う。人間はいつも少し先の未来をほぼ自動的に予測しながら生きているが、その、無意識に作られる「ここだったらこんなもんだろう」という予測と現実に起こることとの間にギャップが生じると、そのギャップを補うために感情が動くのだと思う。

そんな意味で、学生の頃(もう10年近く前になるけど)に訪れた太平洋セメント秩父工場は感動の巣窟だった。

ズレの源は、そのあまりにも巨大な佇まいにある。敷地と建物があまりにも巨大で、本当にちょっと感覚が狂ってくるような気がする場所だった。

 

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2014/08/15 FUTURISTIC at 青山蜂

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明日は青山蜂でパーティしてます◎
ゲストはNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDMacka-Chinさん!
そしてback drop bombのJinさん!

昔の自分に教えてあげたいビッグネームですが、それ以上に最高なパーティになるでしょう!

Macka-Chinさんに初めて御一緒した時、1stのCDケースを持って行ってサインしてもらいました。
これが自分の生まれてから唯一の「サインください」体験なのですが、それくらいの憧れの人。
そんな人と少なくともブースの中で肩並べてDJできる幸せをかみしめつつ、一生懸命DJしたいと思います!

間違いなく最高な音楽がかかり続ける一夜になると思います。明日の夜は是非青山蜂へ!

 

【FUTURISTIC】@AOYAMA HACHI

8/15 (FRI)

OPEN 22:00
DOOR ¥1000

-2F-
■DJ
MACKA-CHIN (NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
JIN RA (back drop bomb)
ぬまたまご部長 (SOUL中央TRAIN)
yu ilsoo (de-sheevo)
BRUE (QQQ)
KNKwalks ((f)uchew)

-3F-
■DJ
THE KLO (TIGER HOLE/WESTSIDE FREEDOM)
Marii (S/LTD)
YOCCI (PETROGLYPH)
You me (FORESTLIMIT/MANATU)
Pecorino Jr.

-4F-
■DJ
Kaga (SOUL中央TRAIN)
Zutsuki D (Powder & Herb/The Word is Out!)
首位 (KIllINGARCADE)
M∞YaN (TRAVESSIA/The Word is Out!/Suntopia)

VOODOO BEATBATTLE 3rd Season 出場者募集中

新宿ドゥースラーで開催中のVOODOO BEATBATTLE。
自分も運営に加わりつつ出場し続けてます。
 
6月に優勝したLARGE君は本当にかっこよくて刺激的でした。自分は今回ももちろん出場します。
 
大会に出てて思ったのは、対価を得たり依頼をもらったりするわけではない身としては、締め切りは本当に大事だということ、あと、世の中には本当に色々な曲を書く人がいて、いろんな作り方する人がいるということです。
 
見てるだけでも本当に楽しいから、来たことない人には是非見に来てほしいけど、それ以上に出場する方が絶対楽しい!ということで、今回も出場者募集中です。
 
 
前回の出場者の曲はこちらのSound Cloudでも聞けます↓