UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

啄木にはまりました

もともと、「アンラッキーヤングメン」(asin:4048537245)に引用されているのを見て気になった、というのがきっかけとなったわけだが、いざ読んでみるとあまりに素朴な言葉で語られる悲哀がどストライク。

何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり
(一握の砂 41)

以前、詩集を読めないという僕の声に対して友人が、文芸がオリジナルアルバムだとすると、詩集はベストアルバム。その中で好きな曲を1曲見つけられれば全部読む必要はない。というようなことを言ってくれたものの、とにかく本を前にすると全てを読み全てを理解しなければならないと力んでしまう僕にはそういう読み方をすることがなかなかできなかった。そんな僕が啄木を読めた、そしてまがりなりにも好きな歌を3つ4つ見つけることができた、というのは中々驚きだ。おそらく、短歌という無駄を極力排したスタイルと、啄木の素朴な言葉の選び方、そして僕自身の心情をストレートに代弁してくれているかのような言葉が、行間を読んでやろうという姿勢をとる前に僕の心にストレートに響いてしまったが故だろう。
いままで、素朴な歌と言われると、相田みつをのようなもはや読む価値すら感じさせない「良さ気」な雰囲気のみをもった空っぽな言葉のことだろうと思っていた。そういうのも素朴は素朴なのだろうが、むしろ啄木のように自らの絶望感や無常観をなんの衒いもなく自分のものとして表現できている(ように思える)ものこそが「素朴」なのだろうと認識を改めた。

世の中に対して、どうしようもない違和感や憤りを覚え、何かを変えてやろうというのが10代のころの僕だった。今、20代前半の僕は相変わらず同じような違和感や憤りを覚え、そして変えてやろうという気概を持ってはいるものの、どこかにそれに対する絶望感を持ってしまっている。世界の全てを変えることはできないから、せめて自分の手の届く範囲で、という譲歩をしてしまっている。そんな自分に対する憤りがなくなったとき、僕は若者ではなくなり大人に近づいてしまうのだろうと思う。僕が生まれるちょうど100年前に生まれ、30を迎えることなく死んだ啄木は、絶望感と憤りを抱え、それを失う自分を許せずに死んでしまったのだろう。
世界を変えるという気概が、そのまま生き方に直結する時代。そんな時代に憧れを抱いてしまう僕は、時代のせいにして何もできない自分を擁護する甘えん坊にすぎないのかもしれない。


新編 啄木歌集 (岩波文庫)

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一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

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一握の砂 (朝日文庫)

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