UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

時をかける少女――別れから再会の物語へ

この話は、以前は美しく切ない別れの話だった。それは多くの人を魅力し、数々の言葉と情景を人々に刻みこんだ。
そして今、その物語は新たに生まれかわった。今回そこで語られるのは別れではなく、再会だ。



時をかける少女」を見てきた。主人公が芳山和子の娘、という設定だという情報のみを仕入れて見に行ったこともあり、はじめから最後まで完全に引き込まれて見ることができた。入念に編み込まれたプロット、丁寧に1970年を再現した(ように思われる)風景、そしていくつもの物語が次々に迎えていくクライマックス。非常に丁寧に、前作、そして映画作りに対する愛をこめて作られた傑作だと思う。
男性がラブストーリーに惹かれるときは、「共感」をキーに物語に入り込む女性とは根本的に異なり、特定の登場人物に惹かれることを意味する。「大林版時かけ」が多くの人の心に残っているのは映画の作り、そして原田知世が非常にニュートラルな存在であったため、観客がそこに惹かれる要素を見出だすことが容易だったからだ、と映画秘宝に書かれていた(それは、属性の付与のみでキャラクターを成立させている最近の「萌え系」にも通じる、スクリーン上で「モテる」ための鉄則だろう)。しかし、大林版を継ぐこの作品では、上記の「再会」をテーマにしたストーリーが、まず観客を引き込んでいく。観客と「時をかける少女」の再会、母と娘の再会…その再会ひとつひとつがクライマックスとして紡いでいく物語。あかりははじめ、傍観者の異邦人としてそこにいる。それは、いわば観客と同じ立場だ。しかし中盤の「再会」から、母の物語が彼女の物語へと切り替わっていく。その過程で彼女が触れる多くの「再会」。それは、観客にとっても見知った顔であるがゆえに、それぞれがそこに思いを投影することを可能にする。その、自分勝手な思いの触媒としてあかりがそこにいるのだ。
触媒としてのありかたは、エンターテイメントと対をなす映画のひとつのありかただと思う。直接的でも間接的でも、我々を思い出や思考、記憶とつないでいくこと。エンターテイメントが身体的な魅力だとすれば、それは高度に精神的な魅力だ。そして、刹那的でさえあるエンターテイメントに対して、触媒としての映画はそれが結びついたものによって長く心に残る。そう、「時をかける少女」は、やはりどのように形を変えても人々の心に残る名作なのだと思う。もちろん、今回のこの映画も、ぼくの心に残っていくだろう。


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