UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

ブラックミュージックさえあれば


学生時代にバイトしていた青弓社から出ているエッセイ集『ブラックミュジックさえあれば』を読んだ。
徹底して「ウォナビー(Wanna Bees)」の視点から語られる筆者のブラックミュージック観は、しかしそれ自体が彼の人生であり、既にひとつの文化を形成しているように思われる。Jazzに始まり、R&B、ソウル、そしてヒップホップへと連なる大きな流れをハーレムという土地を中心に語る彼の、そして彼を取り巻く魅力的な人々の言葉はどれもユーモラスでファンキーで、愛に満ちている。


学生運動に身を投じていた彼が音楽と出会い、水商売で身をたて、やがてアメリカへわたっていく導入部。そして現地で出会った様々な人々。現代のブラックミュージックと、人種、「黒さ」への彼なりの想い。その中で特に印象的だったのは、アポロシアターのアマチュアナイトについての記述。


音楽だろうが、踊りだろうが、芸として良いものは良いという確信が観客の中に感じられる。良いか悪いかは、”ソウル”があるかないかによって決まる、とある者は言い、どれだけ”黒っぽい”かによって決まると、ある者は言う。”白っぽい”こと、”硬くぎこちない”こと、”セクシーでない”こと、そして”ソウルフルでない”ことは、しばしば人々の心の中で同じことを意味する


自分はエンターテイメントとは人の心、または身体を動かすものだということを常に思っている。それは決して壁際で腕を組んでいてふんふんうなずくものではなく、フロアで心と身体を開け放って浴びて、自分の心と身体のリアクションを自分自身で感じるものである。この本の中では演者と観客が渾然となってショーを作り上げていく描写がしばしば登場する。ミュージシャンたちが口々にハーレムの人々のことを褒めたたえる。しかし、観客こそがショーの主役である、というのは何もアポロシアターに限ったことなのではなく、エンターテイメント全般に共通していえることである。アポロシアターとその観客がすばらしいのは、それを全員が感覚的に理解していることにあると言える。


その場を共有する全員が混ざり合い、ひとつの空間を作り上げる瞬間。それはまぎれもないエクスタシーであり、実在性を何の迷いもなく肯定できる瞬間であるように思う。結論、自分がやっていることはすべてがその瞬間を追い求めてのことであり、それなしには生きる屍のようにしか動けない。そんなことを思い出させてくれた一冊。


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・ともすれば高尚な言葉で重々しく語られがちなブラックミュージックという主題。それを生活感という言葉でくくり、その泥臭さだったりばかばかしさ、軽さと重さをしっかり描き出しているところがすばらしいと思う。ジャズもファンクもヒップホップも、そこに暗さ/陰湿さを見いだすのは外部の人たちであり、中にいる人にとっては音楽とはいつもハッピーでピースフルなものなのだと思う。