UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

司馬遼太郎『花神』のパンチライン

最近ふとしたことから江藤新平のことが気になって、司馬遼太郎の『歳月』を読んだ。読み終えて解説を読んでいると今度は大村益次郎のことを知りたくなって今『花神』を読んでいる。
司馬遼太郎手塚治虫と同じく、その偉業の一つに圧倒的な作品数の多さがあると思う。『国盗り物語』や『竜馬がゆく』などの人気のある歴史上の人物を主人公に据えたものがある一方で、こういった人物を主人公に据えたものもある。おかげで現在でも歴史についての概観をつかみたい場合はとりあえずの導入として大変助かっているが、逆に今でも司馬遼太郎が本屋で平積みされている状態は世の中がいつまでも司馬遼太郎歴史観から脱却できていないということだと思う。

花神を読んでいる中で一個気になるパンチラインがあった。

天才は頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人を嫌うから遅れたのだ

たとえばノーベル物理学賞を受賞した中村教授やテニスの錦織選手が日本ではなくアメリカで暮らす決断をした背景を考えると、上記の指摘は2015年現在の日本にも十分に当てはまるものなんだと思う。この言葉は昭和51年に司馬遼太郎が書いた、幕末期の日本を描いた小説の中の一節だ。司馬遼太郎が幕末期の日本を解釈する上でこのような言葉を用いたのが既に40年近く前のことだ。(!)

思うに、日本のこういった部分はそうそう簡単には変わらないのだと思う。だからこそ、そういったことを嘆くよりもそれを理解した上で何をするかが大事なんだと思う。
既にひと月が経過してしまっているが、2015年はいろいろ勝負をかけていきたいと思う。


新装版 歳月(上) (講談社文庫)

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花神〈上〉 (新潮文庫)

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