UCHEW-NISSHI

Tokyo Based DJ KNK's Blog - 音楽関連、東京近辺のパーティ情報、各地の旅先での音楽に関連した散策、読んだ本や見た映画について

Halloween II - 悪意を具現化する映画、という系譜

ロブ・ゾンビ監督によるリメイク第2作、ハロウィン2を見てきた。
これまでのホラーエンタメ路線を離れ、ひたすらストイックに撮られた作品は、一部のホラーファン以外には受け入れられてないことや、当然興業的に失敗してしまっていることも当然、と思える内容ではあった。しかし、それはこの映画が駄作だということではなく、むしろロブゾンビの熱意がこれでもかというほどに詰まったが故このような形になったと思えるだけのパワーを持った作品だった。

絶対的正義を形容することができないように、絶対的悪もまた形容できない。勧善懲悪のような生温い正義/悪で満足するならともかく、もっと深淵の部分ではこの2つは表裏一体でつながっているからだ。倫理という相対的物差しにすがるならともかく、結局この2つをわけるものはどちらがより純粋か、という一点のみである。そして、純粋な悪はこれまで多くの監督が挑戦してきたテーマであり、それは様々な系譜をもつ。『ハロウィン2』もまた、この映画に分類することができる。ほかにぱっと思いつくのは、ツインピークスだったりケイゾクだったりといったドラマだ。これらの作品が悪意に名前を与え、人間として具現化しようとしたのに対して、ロブゾンビが取り上げるのは「家族」である。マイケル・マイヤーズとして抽出された絶対悪は家族という導線を通じて具現化し、伝染する。それは狂気であるが、一方で純然たる絆でもある。劇中でルーミス医師がやたら登場するのは、彼の悪賢さとマイヤーズ家の純真さを比べるためともいえる。我々は純粋さを目の当たりにするとき、それを美しいと感じる。この手の映画があまり受け入れられないのは、怪獣映画と同様、それが我々の倫理観に揺さぶりをかけ、その上に立つ社会という構造物を崩そうとするように思えるからだと自分はいつも考えている。描かれる悪意が純粋であればあるほど、我々はそれを美しいと感じ、それゆえ直観と倫理の間に葛藤が生じる。それでもなお倫理をとる人もいるだろうが、自分は直観に従って生きていたいな、と思う。

・包丁を刺す音が、さくっとした音ではなく、むしろ相手を潰すような音に変化していたのがとても印象的だった。そのような部分からも、ロブゾンビが今作でクールなマイケルを描く気がなかったということが伺える。

ゾンビ映画もまた、悪意の伝染を描くメタファーとしてとらえることができる。世界がゾンビに覆われたとき、正しいのは生き残った少数の人間なのか?それとも多数派となり彼らなりの社会を形成しているゾンビなのか?というようなことを考えると、倫理という物差しがいかに曖昧なものであるかがわかる。「悪意」の部分はイデオロギーと読み替えることも可能なはずだ。
というわけで、再来週からシアターNで上映される『ザ・ホード 死霊の大群』http://www.showgate.jp/horde/は非常に楽しみ!走るゾンビ!ダニー・ボイル以来だなぁ。